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痔瘻よさらば / Farewell to Anal Fistula

Kenya Hondoh
July 8th, 2020 · 4 min read

💡 この記事は何?

  • この記事は個人の入院体験談です。
  • 日記 or 一次的な記録で超長く,とりとめもまとまりもないです。

という感じなのですが,強いてまとめると以下のような感じです:

  • 痔瘻根治手術は,私の場合結構きつかった
  • でも痛みが和らいでからの入院生活は楽しかった
  • 採血恐怖症だったが,数をこなすと克服できた
  • 痔の手術のあと,また別のところに膿が溜まり,追加手術・再入院することもある(レアケースっぽいけど)
  • 肛門の疾患を予防しよう
    • お腹を下さない食生活,食物繊維,発酵食品食べる,脂肪を控える -「考える人」の姿勢で排便,トイレは3分以内ですませる,強くいきまない

それでは以下,日記です。

7/8 より,痔瘻 という肛門の疾患を治すために入院をしています 🏥

私の肛門の疾患との付き合いは 2017年に遡ります。

痔瘻の産声

肛門周囲膿瘍

2017年の夏頃から,自転車に乗るときにお尻に異物感を覚えるようになりました。

病院に行った結果, 肛門周囲膿瘍 という,膿の塊であることがわかりました。大腸菌が,直腸のくぼみに滞留し,化膿してできるそうです。

「この膿を取りたい!」となった僕は, 大腸肛門科で有名だという熊本・高野病院 を受診。切開して膿を取ってもらいました

やがて,痔瘻になる

切開して膿を取り出すと,切開によって空いた穴と直腸が繋がる別の管が肛門の隣にできます。これを 痔瘻** といいます。

この穴は根治手術というもっと ガチめの手術 💊 で治せるのですが,10日程度の入院を伴います。

学生時代の10日間を失うのは惜しいと思われたので,そのときは根治手術をしませんでした。

そしていま,根治手術を決める

耐えられない,痔瘻の膿

それから3年経った2020年春頃 🌸,痔瘻に時々膿が溜まって腫れる ようになりました。

それ以前からもちょくちょく腫れていて,病院に行くのが先延ばしになっていました。

一方で,

  • 🖥 いま仕事が死ぬほど忙しいというわけではない
  • 🙅‍♀️ 膿を治すために対処療法的に通院するのは嫌だ
  • 😱 痔瘻を放置すると「痔瘻ガン」になる可能性がある

といろんな考えがよぎり,「いま手術すべきなのでは?」 という気持ちになり,すんなり覚悟を決めて病院へ 🏥

医師に諸々の経緯を伝えると,

👨‍⚕️「根治手術なら入院やねえ」と。

入院するにも大変で,事前に

  • 大腸検査🔍
  • 採血💉
  • 入院前検査🔍
  • 採血💉
  • 肛門括約筋の筋力測定
  • 採血💉

など色々面倒な検査が必要で結構辛かったんですが,士君子パワー で乗り切ります。

そして無事入院する運びとなる。

入院1日目

財布を忘れる

入院に必要な荷物の確認を1億回くらいして,昼来院しました。

受付にいき,病棟の案内を受けるはずだったのですが,なんと財布を忘れてしまい,現金も保険証もないということに気づきました。

看護科の方に申し訳ねえ申し訳ねえと言いながら(本当は,「ごめんなさい,本当に申し訳ないです」と言いました),自宅まで取りに帰りました。

果たして,ベッドの上に財布はありました。

汗だくで受付に戻ったら,看護師長の方が笑顔で「見つかってよかったです!」と言ってくれました ✌️

夕飯

早速翌日が手術です。病室についたら,主治医から簡単な診察と手術の説明がありました。

そして,夕方まで病室でくつろぐ。部屋からはランドマークタワーが見えます。

夕食は特製の術前食でした。

お粥は舌触りがいい感じで,上品でした。僕もちゃんと美味しく作れる方法を調べようと思いました。

下剤の味=ポカリ

腸を空にするために下剤を飲みます(翌日の手術のため)。

下剤は「マグコロール」という名前で,味はクエン酸。

クエン酸飲みまくると,腸内の電解質の濃度を一定にするために腸からめっちゃ水分が出て, 食べたものが直腸に運ばれやすくなるそうです。これが下剤の原理だそうです。

下剤を飲んだ後,翌日の手術の話について説明を受け,1日目は平和に終わります。

2日目 手術日

入院患者の朝は体温・血圧測定から始まります。

点滴怖い

手術にあたり,点滴をぶち込まれます。今日の栄養が流し込まれます。

看護師の方とバトル(「僕,針怖いんです…」)がありましたが,あっさり敗北し,点滴の管が挿入されます。

点滴の冷たい液体が,腕の血管を通じて喉の奥(軟口蓋)を通過するのがわかり,とても気持ち悪かったです。

点滴怖すぎて,点滴を挿された部位をそのまま固定して動かさないようにしていたところ, 筋肉が強張って筋肉痛のようなひどい鈍痛を感じるようになってしまいました。

何の痛みなのかよくわからず,「もしや点滴の針が肉をえぐっているのでは?」と疑いましたが, 看護師さんが「カテーテルを血管に挿れてるので,針が刺さってるのではないですよ」と教えてくれました。

手術に呼ばれる

点滴の痛みと闘っているうちに,自分の手術の番になりました。 「とうとうきたか」 と戦慄しながら手術室の待機室に移動し,横になります。

手術担当の看護師がやってきて,「抗生剤の点滴に変えますね」 と言って点滴を取り換えると, また冷たい液体が腕の血管から全身に行き渡るのがわかりました。とても気持ち悪かったけど耐えるしかありません。

手術室へ

しばらくして,手術室に呼ばれます。手術室は,ドラマでみたことがあるようなごく一般的な感じの部屋でした。

中には麻酔科の先生がいました。「麻酔担当の○○です,それでは麻酔しますよ〜!」 と今にも踊り出しそうな元気な感じで, ポケモンのルンパッパを連想しました。

そしてルンパッパ先生,僕の抗生剤の点滴を外して,鎮静剤を流し込みました。 すると,また腕の血管から体全体に冷たい液体が染み渡っていき,眠い感じになってきました。

そしてオペ台にうつ伏せになり,腰に何箇所か注射がなされました。腰椎麻酔というやつです。

ちぎられた肉片

麻酔されたあとの記憶・感覚はあまりありません。

痛みや切られる感覚もありません。寝ているのか起きているのかわからないボーッとした状態が続きます。

オペの最後に(「もう終わったのか」という感じでしたが),執刀医が切除したブツを見せてくれました。

金属のトレーに乗った,小指大の,毛のついた肉片でした。電気メスで焼き切った部分が黄色くなっていました。

その後,私は台車に載せられて,2〜3人の看護師が病室まで運搬してくれました。そして数時間寝ました。

オペ後

病室で何度か目が覚めましたが,下半身は麻酔でジンジンしていました。「ようやく終わった!」と喜びに浸りたいところでしたが, 時間がたつにつれて肛門がギンギン痛んできます。

もうこれは呻くしかないほどのヤバイ激痛。ロキソニンを飲ませてもらい,痛み止めの点滴も注入してもらいます。

痛みでうめいて寝てたりすると,いつの間にか夜になったらしく,夕飯は,ゼリードリンク。ウイダーインゼリーに食物繊維が入ったようなものです。 体を起こせないので,地を這うようなスタイルで飲む。

口の中は歯磨きもできず気持ち悪い感じ。

そのあとは,またナースコールでロキソンニンをもらって寝る。とてもつらい夜でした。

3日目

低血圧

中途半端な睡眠を繰り返すうちに朝になる。

体温はやや高めで37.7度,血圧は 89mmHg/48mmHg とかなりの低血圧。平時でここまで低いのは初めてです。

薬・座浴

朝食はお粥。その後回診があり,適当に尻をチェックされた後,今日から飲む薬と座浴の説明がありました。

薬は,

  • 抗生物質 化膿どめ
  • 痛み止め
  • 軟便剤 とても苦い 便を柔らかくする薬
  • 外用薬 軟膏 座浴後の尻に塗る

でした。

座浴 というのは,お尻だけお湯につけて,傷口の血流をよくしたり肛門周辺を動かすことでマッサージ的な効用を得る アクティビティのことである。

排便と激痛

薬についての一連の説明を聞いた後,ベットで横になっていました。

汚い話で申し訳ないですが,昨日から我慢していた便意が耐えきれなくなりトイレにいきました。しかし,ほとんど出ません。

おしりを拭くと,泥のような便と血がついていました。ベッドに戻ると Siri は激痛。「排便のたびにこれになるのか」と辛い気持ちに。

ただ,痛みが弱いときはゲームなり読書なりできるようになった。

オンラインセミナーに参加する

夜は,「プロダクトマネジメント」に関するウェビナー(ウェブでのセミナー)を視聴しました。

モデレーターを務める及川さんという人は,PdM(プロダクトマネージャー)としてキャリアをやってきた方で, その職種こそがソフトウェア開発に重要な役割を持つということを布教しておられる方です。

withコロナ時代を生き抜くDXを支えるプロダクト戦略

https://academy.kandc.com/

めっちゃ乱暴にまとめると

  • コロナ禍でも,もともとの事業のビジョンを思い出せ
  • コロナで連鎖反応的に起きてる変化を先読みすれば市場握れるかもしれんぞ

みたいな感じでした。これ以外にも各スピーカーの信念みたいなものをちらほら聞けたので, じゃあ自分はどんな軸でキャリア築いていくんやということの問題意識を換気する機会になった みたいなところがある(適当すぎる感想)。

エムスリー VPoE の山崎さん,面白い人でした。 こんな人と仕事できたら,人生楽しかろうと思いました。

当日の内容はこんな感じ

4日目

変形した肛門よ,いぼ痔にならないで

看護師さんの検温で起床。その後飯を食べる。なんか尻が出っ張ってる感じがする。いぼ痔みたいになっている。

手術をしたことでまた新たな痔ができてしまったのではないのか。俺はまたこれからも肛門の疾患と闘っていかなければならないのか?

憂鬱な気分になりましたが,回診の時に医師に確認してもらったところ,炎症を起こして腫れ上がっているということでした。

我慢して様子を見る。

感動の入浴

今日は入院後初めて風呂に入りました。実に4日ぶり。

風呂は治療用の設備(肛門のための泡風呂・トイレなど)があり,あくまで治療を目的とした入浴施設でした。

数日ぶりの温浴,とても気持ちよかった。

快適な1日

痛み止めを飲んだタイミングもあってか,創部の痛みもほとんどなく,午後は快適に過ごしました。ロキソニンを崇めました。

消灯後,電子書籍で読んでいた,東浩紀『弱いつながり』 を読み終えました。

感じたことをまとめると,

  • 我々は Google 検索から逃れられない。 - 統計的に予測可能な世界に閉じて生きるのはつまらない,旅に出よ。
  • 旅に出て,自分を非日常に晒し,新しい検索ワードを獲得しよう。

あと,東浩紀氏の柔らかい?言葉が好きで内容も面白かった。

5日目

特に何もない

尻の不快感で4時ごろから微妙に目が覚め,1日が始まる。

日曜日は入浴も医師の回診もありません。

特筆すべきことといえば,依然として 尻の鈍痛のピークの時のつらさが凄い

本当に布団の上で呻くことしかできません。

痛み止めや姿勢を調整して次第にコントロールできるようになってはいますが,耐えがたいです。

そして痛み止めが効いているうちは,昼寝・読書・ゲーム・ニュースを読むなどして1日が終わる。

傷口,死んだ肉

メスで切り取られた肛門の創部は潰瘍状になっています。

ここにおむつパッドをあてているのですが,パッド交換時に,腐った肉の臭いがします(c.f. 私は冷蔵庫の中で何度となく食肉を腐らせてきた)。

これはおそらく,「ヒトの肉体の一部としてきちんと栄養が供給されている肉」と, 「そうでない肉=死肉」の境界がまさにここにあって,後者がおむつパッドに脱落しているのだろうと思いました。

そして,死肉を分解する微生物の働きで,このように腐臭を放つ。

かつては自分の肉だったものが,こうして腐臭を放ちながら脱落していくのは不思議な感じだった。

6日目

人権を取り戻す

だんだん痛みが緩和されてきます。

排便時には,顔を歪めたくなるような辛みがあるが,それを除けば普通になんとかやっていけるレベル。

今日から抗生物質のフロモックスは抜き。痛み止めと軟便剤だけになりました。

やっと普通に本を読んだり,ブログを書いたりできるようになってきました。

当たり前のことができるようになることに感動…。

今日は

  • 経費でねだった『レガシーコードからの脱却』を読んで sophisticated な engeneer になり,
  • 『近代絵画史(下)』で「表現主義」「フォービズム」の活動を概観し,
  • 殺戮ゲーム(FPS,CoDMobile)で仮想世界の平和維持に貢献した。

7日目

すっきり起床

痛みコントロールがだんだんわかってきて,昨晩は本当にぐっすり眠れました。

またいつものように朝飯,入浴,回診。

回診時に,このメスでえぐられた肛門はこれから膨らんで元に戻るのか尋ねると,

👩‍⚕️「さよう」

ということである。

今日は『近代絵画史(下)』のピカソの話を読んでいる。

8日目

創部について話を受ける。

手術を担当された医師が,どんな手術がなされたのかについて(写真を見せながら)説明をしてくれた。

行われた処置は以下のような感じだ。

  • 痔瘻の穴の周りの肉を,括約筋を損傷させないようにくり抜く。
  • 直腸側に空いている痔瘻の穴を,糸で縛って塞ぐ(体に溶ける糸)。これを閉鎖術という。
  • いぼ痔があったので,削る。

肛門になにかチクチクするものがあったので,これは何だと思っていたが,縫合に使った糸のようである。 これは吸収糸といって,体に溶け込むようにできている。早く体に溶け込むことを祈る。

例の如く,午前の回診が終わり,風呂に入り,昼食を食べ,寝て,夕食を食べ,…

本当に食べて寝る(とその他人間的活動)で終わった。

夜はすぐ眠れないので,消灯以降は共有スペースで本を読むなりする。

9日目

まずルーチン(朝飯,朝回診,風呂,昼食)を終える。

Siri の痛み,良好。今日は1日生産性高くなりそう。

術部の写真をもらう

昨日の回診の時に,自分の手術の時の写真を見せてもらったので,せっかくなので写真を欲しいと申し出たところ,220円でカラー印刷してくれました。

このくらい画像データか何かで送ってくれよと思いましたが,せむかたなし。ちなみに,スマホで撮って良いか看護師さんに聞いたら無理っぽかった。私のデータなのに!

さておき,術中の写真は記念にとっておこう。

入院費用

そして午後,入院に関する請求額が提示された。11万程度。まあこんなものか。

ということで,高額医療費制度民間保険 に必要な手続きについて簡単に調べたのですが, どうやらこれら2つの給付を重複して受けられるっぽいのだ。仮に,書面通りにもらえた場合,収支はプラス5万円程度となる。

日本の医療制度サイコーである。ちゃんと国民保険料?税金?払っといてよかった〜と思えた瞬間でした。

午後,昼食を食べた後の生産性はとても高かった。『レガシーコードからの脱却』をめっちゃ読んだ。

「吸収糸」が外れる

座浴 をしていたときだ。ポロッと何かが取れた。手で掬ってみると,それは治療で縫合に使われていた糸らしきものでした。

これは取れていいやつなのだろうか。一応保護して,明日の退院前診察で先生に開陳しようと思う。

別れを意識する

今日の夕飯は,「祝飯」という,お赤飯を中心とする縁起の良さげな食事でした。

今日で最後かと思いながらしみじみ食べました。

そういえば,今日の午前中,自分の前のベッドにいた I さん が退院したのでした。

実は,彼には入院2日目に,術前の不安を打ち明けたのでした。

「I さん,はじめまして,昨日入院したものです」

「点滴が怖くて…,その点滴した腕が痛いんですが,I さんも痛かったですか?」(もごもご)

I さん「手術はですね,点滴から鎮静剤を流し込まれた後すぐに麻酔があって,ウトウトしていまして…痛みを感じることはありませんでしたよ,そこは安心なさってください」

「ありがとうございます。僕,いま点滴して腕全体が強張って痛いんですが,そんなことありました?」

I さん「なかったですね 笑。なんなのでしょうね。でも,これから行われる手術は痛くありませんよ」

「ありがとうございます,すこし気分が楽になりました。」

2日目に話したきり一度も会話することはなかったが,I さんの退院日,部屋を出る時に

I さん「本藤さん,今日退院することになりました。お疲れさまでした。」

と,カーテン越しに挨拶をしてくれました。妻の迎えを待ちに1階におりるようです。なにかせつなかった。

たった数日,同じ空間に居て,少ししか会話していないのに,これほどまでに寂しいと感じることがあるのだな。

ちなみに I さんは,(看護師さんとの会話から)術後の痛みはそこまでなく,痛み止めもほとんど飲んでいないようでした。 毎日羨ましいなと思っていました。

それにしても,もっと話しておけばよかった。

就寝前

この入院での日々が思い出されて,布団でウルウルしてしまった 🥺

思えばここ数ヶ月ずっとテレワークで,継続的に生身の人とコミュニケーションをとることがなかったから, なにかそういう温もりみたいなものが恋しく感じるのかもしれません。

何か,人の根源的な「つながり」を欲する欲望というか,そういうものが自分にもあるんだなと思いました。

あるいはこのつらさは,明日から「自由」でなくなることへの絶望も含まれていそうでした。

ここ10日間,自分が生きるために必要なことは全部医療従事者の方がやってくれました。ご飯も,ゴミ出しも,なんもかんも。

そして自分の気の向くままに時間を使うことができました。

それが来週以降は,また独房のような部屋でテレワーク。泣くしかない。

そんな感じで寝ました。

10日目

旅立ちの朝

起きたらまず身支度をする。昨日 I さんは退院直前のこの時間に採血をしていました。我もあるのだろうかと身構えていたがありませんでした。

朝食を食べる。最後の朝食と思うとしみじみします。

最後の審判

その後,「退院前診察」があります。ここで,医師から直々に「退院許可」がおりるわけです。

そして診察。院長先生でした。

👨‍⚕️「お疲れさまです,退院して OK(こんな話し方はしてない)」

ただ,患部で一点気になることがあったので質問しました。

🙂「ここ(肛門周り)に何かニキビのような,粉瘤(ふんりゅう)のようなものがあるんですが,これは膿ですか?」

👨‍⚕️「(神妙な顔)」

👨‍⚕️「確かに…何かありますね…もしかしたら,新しい痔瘻ができた可能性も否定できません。一度エコー撮りましょう」

なんと,新しい痔瘻ができた可能性が示唆されました。

悲劇の追加手術

そのまま超音波検査に向かいました。

もうつらすぎて笑いが出てきた。新しい痔瘻を作るために入院したのか?なんとばかばかしいのかと。

超音波検査の部屋に着いたら,エコー機器を肛門にぶちこまれました。

手術後の肛門は繊細です,バチバチの激痛が走りました。

検査の結果,以下の事実がわかりました:

  • 実際,僕が指摘した場所に膿が溜まっている
  • 溜まっている膿は,痔瘻と一緒に手術した痔核の近くにある

ということで,詳細の状態を見るために,即日で切開排膿することになりました。

なんという意思決定のスピード。

局所麻酔で切開排膿するなら今日やってすぐ帰宅できますが,手術後なので腰椎麻酔しないと痛すぎてつらいだろうとのこと。 ということで,腰椎麻酔+切開排膿(追加で1日入院)ということになりました。

病室に戻り,例の如く点滴を刺されました。もう点滴に対する恐怖は薄れていました。

手術前までは 高階秀爾『近代絵画史(下)』の続きを読む。エコール・ド・パリの画家の話を読みました。

手術に呼ばれると,前と同じように待機室にいって,抗生剤の点滴して,麻酔されて,鎮静剤の点滴をします。

手術が単なる切開排膿だからなのか,鎮静剤の効き目は弱い気がしました。手術を通して普通に意識がありました。

手術室の看護師とも会話できました。取った膿を見せてくださいと言ったところ,「ガーゼで吸っちゃうくらい少なかったよ 笑」と。捨てちゃったのでしょう。

そんなこんなで手術は終わりました。下半身が麻痺したままなので,ベッドでまた1日寝ます。

夜,💥痛みがやばすぎて(無数のアリにSiriを噛まれている感覚),ナースコールして痛み止めをもらう。寝る。

10 + 1 日目

起きた。尻は不快感マシマシ,前日歯磨きもできなかったし,風呂も入ってないのでコンディションは最悪。

寝ぼけていると,僕の担当医師が病床までやってきて,経過を説明してくれました。それによれば,

  • 前回手術で「痔核」を切除したことで炎症が起き,それによって発生した膿が肛門の皮膚の下に流れ込んでいた(僕が指摘した「ニキビ」「粉瘤」のようなもの)
  • なので,「新しい痔瘻」ができたわけではなさそう
  • 「痔核」から膿が出るようにゴムを通し,体外に出るようにした(こんなことができんのかスゲー)

ということらしい。

どことなく,「👨‍⚕️ この事実に早めに気づけなくてごめん」みたいな申し訳なさが医師から伝わってきました。

というのも,入院中毎日回診というのがあって,医師が患部をチェックしにくるのですが,特に触診するわけでもなくチラ見して終わりなのでした。 そんなズサンな回診をしているから,僕が「退院前診察」で指摘するまでこの症状が放置されてきたようにも思います。この点には苦言を呈しておきたい。

そして朝食,部屋の片付け,採血,会計をやって,無事退院となりました。

痔瘻よ,さらば…!


退院後,悲劇が起こる

土曜日に退院して,2日経った月曜日。

その日は普通に仕事に復帰して,テレワークしていました。おしりは多少痛かったけど,布団で楽な姿勢になって仕事をしていました。

体調が悪くなる

昼ごろからなんか熱っぽいな〜という感じがしていて,夕方にはなんかおしりが腫れてきている感じがしていました。

21時ごろ,「なんかこれやばい」という感じがしてきて,体温計を買いにドラッグストアにいきました。最後の一個で,高いやつしか残ってなかったけど仕方ない(2100円)。

体温を測ると,37.7度 くらいあり,とりあえず明日は朝一で病院行かないとマジにやばいという恐怖に怯えながら寝ました。

翌日朝一で病院へ

そして火曜日の朝,昨晩飲んだ解熱剤のおかげで体調は少し良くなっていましたが,依然として熱っぽさはあります。病院に電話して症状を伝えると,「今きてください」とのこと。

9時ごろ到着し,執刀医が診察してくれました。

まず,おしりの腫れているところを切開されて,膿を出しました。激痛でめっちゃうめいた。

それで,医師の曰く,この前とは別のところにも膿が溜まっているらしく,そこを押すと先ほど腫れていた部位から膿が出てくるそう。つまり,膿溜まりが2箇所ある。

とりあえず,超音波検査でこの膿の状態を見ましょうということになり,検査してもらった。さっきの切開と術後の激痛で,めっちゃうめいた。

緊急入院!(たのしそう)

検査の結果,結構デカめの膿の溜まり場が肛門にできてしまっていたようでした。

👨‍⚕️「切開だけではまた膿が溜まるので,膿が出るようにしないといけない。これには手術を伴いますが,これだけ痛いのですから,腰椎麻酔が必要でしょう。そうなると入院が必要になります」

とのこと。

まあじつは,「この体調のヤバさ,入院必要では?」という感じだったので,2日分くらいの着替えを用意して病院にきていたのですが,また入院するのかと頭がフラフラしました。

そして,そのあとは会社に連絡。次に入院の手続き。正直早く横になりたかったけど,入院にかかる書類を書かなければいけない。めんどくさい。

11時かそのくらいに病室に案内されました。窓際で,セミの声が聞こえました。梅雨空の雲から漏れる,やわらかい陽の光を感じました。

ナースセンターに顔を出すと,数人の看護師さんから「あら!!!」とめちゃくちゃ驚かれました。事情を話すと「大変ですね〜…」と言われました。実際大変である。

陽気な看護師

病室でその日の僕を診てくれたのは M 看護師。タメ語だったけど,気さくな感じで接しやすかった。

まずは採血。例の如く,「採血怖いから頼むぜ」的なコミュニケーションをして,無事血を抜かれます。「採血怖い怖い」しても嫌そうな顔をせず「じゃあがんばるぞ〜」と笑顔で採血してくれたのがよかった。

次に,点滴を挿してもらう。ちょっと失敗してしまい,血管に針をグリグリして「ごめんなさい,一度抜きます」と言われました。

そのグリグリが結構気持ち悪くて,気分が悪くなってしまった。「すみません,5分くらい時間をあけて,またお願いします」と言うと,また5分後くらいに病室に戻ってきました。

「ごめんなさい,私もちょっと不安ですけどがんばります…!」と言われ,なんかめっちゃ応援したくなりました。(なんなんだこの信頼関係?は,と思った)

それで2回目は別の血管に挿してもらって,無事成功。例の如く,腕から栄養が流し込まれます。

手術

小一時間ベッドで横になっていると,手術に呼ばれました。

手術室に向かう途中で,前回入院した時に点滴を挿してくれた別の看護師さんと遭遇して,会話しました。手術室の手前まで来てくれて,肩を撫でながら「手術頑張ってね,大丈夫だから」と言ってくれました。ありがてえ。

それで,待機室に行き,抗生剤を流し込まれる。そして手術室で鎮静剤を流し込まれ,腰椎麻酔される。手術がはじまる。まさか,2週間で3回も腰椎麻酔をすることになるとは。

下半身は本当に何も感じません。医師は2人いました。執刀医と,もう一人若手の医師。超音波検査の写真などを見ながら,何か議論している。

おそらく20分ほどで手術は終わりました。オペ後に,簡単な説明がありました。

  • おしりの膿の空洞に,抗生剤を染み込ませたガーゼを入れ,清潔にする
  • ドレーンにより,常に膿が排出されるようにする

みたいな感じ。

そのあと病室に運ばれて,ずっと眠りました。時々看護師さんが検温に来ました。熱はなんと 39.1度もありました。血圧も低め,絶不調。

点滴で解熱剤を流し込まれました。その日のそれ以降についてはあまり覚えていません。

翌日

翌日,朝しょっぱなから採血があった。もう,怖がるとか特に何もなくカジュアルに血を抜かれて,「自分,採血平気になったんだな」と思いました。

11時かそのくらいに,医師の診察がありました。熱も37度程度,ほぼ平熱まで下がり,おしりも問題なく,血液の白血球数も問題ないということで,退院が決まりました。

正直,またこういうことが起きたら嫌だし翌日から連休なので,入院していたいと思ったけど,その必要がないと判断されたならいいか…。

ということで,退院…。

それから数日は,本当におしりに膿が溜まらずちゃんとオムツに出るようになって,「すげえなぁ」と感心したのでした。

これからは外来で通院ということになる。さて,私のおしりの未来やいかに…

痔瘻よ,さらば…

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